【教科書・参考書】 読書は一人で学習を深めるハッテン場になる

学習にとって教科書・参考書などの書物を読むことは極めて大きな部分を占める要素です。充分な書物が手元にありさえすれば、必要な知識はすべて獲得することすら可能になるでしょう。しかし、これはあくまでも筆者の意見です。知人に同意を求めたら、読書は睡眠薬の一種だと言われて驚いてしまいました。ここには同じ資料でありながら、知識の塊と睡眠薬との違いを生むものがあるということになります。

書物を読むことに親しみ熟達するなら、書物は知識の宝庫であり、必要に応じて必要なことを知るためになくてはならないものだということになります。知っていることの理解を更に深めることができます。そしてさらに謎を見つけることになるでしょう。書物との関係がどんどんとハッテンし、自分と書物とが一体化していくような錯覚すら覚えるようになります。

書物には必ず著者がいます。その著者は何かを説明しようとしているのですよね。さてここからが違いを生み出すポイントになります。その著者は何を説明しようとしているのでしょうか?これが最初の問いなのです。読者は著者に問いかけます。「何を説明しようとしているか」と。この質問に対する答えは必ず書物の中に書かれているはずですね。そしてそれが著者からの答えです。

次に、その説明を著者はどのようにしようとしているのか。これが次の問いです。小学校時代の遠足を思い出して下さい。動物園へ遠足に行った後、日記を書かされませんでしたか?実につまらないことしか、私は書くことができませんでした。後で読み返すとどこに行ったのかすらわからない始末。説明には上手下手があるのです。説明者である著者は説明が上手でしょうか。自分ならどのように説明を試みるでしょうか。

著者の説明に納得できますか?という質問が続きます。説明に納得できないのであれば、納得できない点はどこにありますか?これを欄外などに書き込んで置きましょう。そして次はその納得できないことを著者がどのように扱っているかを探すことになります。書物を読んでいるときには、わからないこと、質問したいことが立ち現れてくるはずです。それを書き込むなりしてノートしておきます。

その著者が十分に考察を尽くして書物を執筆しているのであれば、それらの質問に対する答えは必ず書物の何処かに表れて、答えを提供しているはずです。但し、中には問題を提起しておきながらそのまま放置している書物も時として出くわすこともあります。そのような書物は非常に後味が悪いです。著者によっては非常に入り組んだ構造を用いて書いている場合もありますが、やはり疑問に対して答えが応答しているのです。

タネを明かせばこの読み方は、専門家が対話的読書と呼ぶ手法のひとつです。教科書を対話的に読み解くことができれば、学校の授業はほとんど不要にさえなります。つまりこの手法によって学習することに熟達することが学校の勉強の一つの目的だということができます。学校に通っている限りは、自分の対話的読書の達成度を学校の教師とチェックすることができるからです。

質問と答えという応答を形成する読書。これは資料などビジネスなどで必要とされる読解能力に共通するものなのです。そしてこの能力を養うことで、時代を超えた対話能力が身に付いたことがわかる時がきます。書物は長い時代を超えて受け継がれている場合があるのです。このような書物であれば、例えば100年前の人の手になる書物であれば100年前の人と対話していることと同じ意味を持つことになります。これが本当の目標です。