【疑問】効率的なスタディスキルがなぜ必要なの?楽して勝ちたい

学問に王道なしという言葉はよく知られています。しかし、効率が良いことと王道とは関係ありません。また学習するということと学問とは同じではありません。学習は学問の入口に過ぎず、学習して得られた知識・知見を用いて研究することが学問だからです。病気をしない人はいないということと、健康的な生活をするということとは矛盾しないように学問に王道がないということと効率の良い学習とは矛盾しないのです。

友人たちに高効率学習法を披瀝すると、最初は信じてくれません。「騙されたと思って…」などと調子を合わせてしばらくお付き合いしてもらい、高効率学習法を経験してもらえたなら、必ず彼らは「何故、高効率学習法をもっと早く教えてくれなかったのか」と怒るのです。あるいは「こんなに楽な方法で本当に許されるか」という深い疑念を突きつけてきます。

日本に伝わる昔からの感覚には、楽をしてはいけないという規範が含まれているようです。人並み以上に努力を重ねてこそ、価値があるということなのでしょうか。しかし、学習そのものにあまり価値はないのです。学習によって獲得された知見・知識などを用いて本来の学問などを進めることで、初めて価値が生まれてくるのです。はっきり言えばスタディスキルは学問ではないのです。

スタディスキル(高効率学習法)は楽に学習を進めるために考え出されている一連の技術です。アメリカやイギリスなどでは、スタディスキルという講座が用意されている場合すらあります。標準化された学習技術を基本にして、各学校毎に独自の工夫を加えられた内容になっており、小学校レベルの頃から順番に習得するようになっています。大学レベルともなれば、研究するための技術の基本を既に習得しているのです。

ですから日本人がアメリカの大学などに留学・入学すると、いきなり水を開けられたような状態に陥ってしまうことになりかねません。まわりの学生は先生の簡単な指示だけで、必要な書籍を猛烈な勢いで読んできたりするのですから、ビックリしてしまうのではないでしょうか。彼らの場合はそのような技術を習得しているので、大学を卒業した後も好きな分野を自分で研究することも可能になっているのです。

日本でも十数年前から生涯学習ということが言われるようになってきました。男女の平均寿命が伸びたこと、社会が複雑化したことなどの環境要因から、一度習得した技能が生涯に渡って使用できるとは考えられなくなってきたのです。中高年にさしかかってからでも、全く新しい分野の知識・技能を獲得しなければならないということが要請されているのです。

残念なことには、中高年になってからかつてのコツコツと地道な学習技術はあまり役に立たないということがあげられるでしょう。記憶力も技能ですから、使わなければ劣化していきます。知識は広範になり、理解力も柔軟性をより以上求められるのに、学習を根底で支えるはずの記憶力すら失われつつあるのです。このような現状を見ると、学習技術の習得をできるだけ若い時代に達成しておくことが必要だったと後悔するばかりでしょう。

大学受験、高校受験を間近に控えた受験生たちにとっても学習技術は深刻な問題です。詰め込み教育であれ、ゆとり教育であれ、学習によって獲得された知識が前提です。知識を獲得することが効率的でなければ、どちらの教育方針であっても豊かな成果を期待できるはずがありません。ゆとり教育は知識学習のさらに高みを目指しただけなのですから。

効率が良い学習技術を身に付けると、学習は新しい知識の発見に満ちた冒険になります。勉強が楽しくなるためには、まず簡単に勉強できることが大前提のはずでしょう。