生涯学習とは

中央教育審議会答申によれば、「人々が自己の充実・啓発や生活の向上のために、自発的意志に基づいて行う…必要に応じて自己に適した手段・方法を自ら選んで、生涯を通じて行う学習」が生涯学習ということになります。ユネスコの主導により現在では世界各国で見られる取り組みだということができるでしょう。

学校教育だけでは対応しきれなくなった社会が背景にあります。顕著な例を作るコンピュータの登場は、情報弱者という呼び方でコンピュータを十分に活用できない世代の人たちを分類することになりました。コンピュータが登場しただけでしかし、情報弱者を作り出したのではないことに注意を向ける必要があるでしょう。むしろコンピュータの普及によって社会が提供するサービスに変化を生じたことに原因があるように思えます。

多くの社会的サービスがコンピュータによって実現されるようになってくることで、サービスを享受できない人たちが表れるのです。もちろん、サービスの提供がトリガーになっているのであって、事の始まりはもっと以前に遡ることになります。それでもサービスを受けることができないということが問題の中心となっていることは間違いないでしょう。

言い換えると、サービスを享受する為にコンピュータを習得する必要が出てきたことになります。つまり恩恵を受けるために学習が必要だというわけです。恩恵は何もしなくても受けられるということが従来の概念の主流であったことが前提にあります。この前提が崩壊したということです。しかし逆にサービスを提供する方法を見返してみれば、サービス提供の方法に種類が出てきたということです。

さまざまに選択の幅が得られたことから、すべての選択が可能になったのではなく、それらの選択のほとんどが切り捨てられつつあるという側面が看過できません。サービスの提供と享受という関係に限定すれば、サービスの提供はコストですからより低いコストを求めて変化することになります。それに従ってサービスの享受の方法が変化を強いられることになったのです。これは社会の複雑化の一端を担っている現象だと言えます。

社会の複雑化は人口の集中によってもたらされる現象です。このような原因を解明した所で、今のところ信頼できる解答は得られていません。ですから、緊急の課題としてはサービスの享受ができるようになることだということになり、生涯に渡って学習することが求められているわけです。日本としても様々な機関を通じて生涯学習の機会を提供するようになりました。全国にある大学などの教育機関でも対応を始めています。

そのような講座の一つに高齢者が参加すると相当なショックを受けるようで、中には授業の内容に涙ぐむ男性も見受けられます。学習の機会として提供されているはずでありながら、絶望に直面しなければならないという状況が出現しているのです。過去に学んだ学説とまったく違う学説を突然受け入れることが難しいのは言うまでもないでしょう。今まで不要だったことを新たに学ぶ負担は想像を超えるでしょう。

日本が世界の中で変化を被ることは避けられず、生涯学習の必要性は差し迫っているのです。学習の機会が与えられても、その機会を有効に活用できないのならば、サービスは絵に描いたモチに過ぎません。学習の機会を有効に活用する方策が検討されなければならないでしょう。提供者の問題ではなく、享受する側の問題としても生涯学習は扱われる必要があるのです。

一旦社会に出て学習が強制されなくなったなら、一体誰が学習を継続するでしょうか。学校教育では学習の方法を明確に示していなかったのです。生涯学習の必要が叫ばれ、生涯学習の機会が提供され、そしてどのように学習すれば良いのかが求められているのです。

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目次が見やすく説明が簡単そうなので、学力アップできそうです。