整理することですっきり考える。二項対立でつくる思考のチャート

物事を考えるということ、思考するということは学校を卒業するまでの話ではありません。私たちは生活している限り考えることから逃れることはできないのです。考えることで正解を得なければならないという局面はいつでも私たちの周囲に見いだすことができるのです。それは今晩の夕食のメニューかも知れません。また旅行先の決定化も知れません。何かを選択しなければならないとき、私たちは考えなければならないのです。

二項対立という枠組みがあります。メニューで考えてみましょう。カレーかそれ以外かで二項対立です。実は私たちの頭脳は二項対立でしか物事を比較できないことになっているのです。一つ項目をその中に追加した途端混乱してし決定に関する思考が混乱してくるのです。メニューの候補を一つ増やしてもその混乱ははっきりしませんが、10個の候補を加えれば混乱する状況ははっきりと理解できるに違いありません。

選挙のときの立候補者が2名だけであれば、どちらかを選ぶのに左程困ることはないかもしれません。しかし、10名以上が立候補していたらどうでしょうか。それぞれの候補者が主張している政策を理解することはまず無理でしょう。幾つかのグループに分類して考えるに違いありません。グループ化が繰り返されて、最終的には保守派と改革派という2つのグループに還元されてしまうのではありませんか?

数年前に新しい借家に引っ越そうということになって、候補になる借家を探した所8軒程度が周旋屋さんからお薦めということで資料を頂きました。それを見つめて、家賃の上下、部屋の広さ、立地場所、窓の数……と様々な要素から引っ越す家を決めなければなりません。それらの資料を目の前に並べて途方に暮れたのです。これからどのようにして最適な借家を決定すれば良いのか。

このような問題に二項対立の応用は最適です。適当に取り出した2件の借家を見比べてどちらがより良いかを検討します。これであれば、比較的容易に決定できるものなのです。どちらがよりナットクできる家賃に設定されているかでも良いでしょう。そしてこの意思決定を全ての候補に対して繰り返します。そうすることで全ての候補が検討されることになり、一軒が選び出せるのです。

この二項対立の思考方法は学校教育の中で必修の思考法の一つになっています。評論問題などで問われることは文章から二項対立を見つけ出して、著者がどのように考えているのかをトレースすることなのです。ですから日常の生活の中で二項対立での思考を意図的にすることは、国語の評論問題に対する解答能力をそのまま高めることに役立ちます。

二項対立による思考法から答えを見つけ出すと、次なる問題が生じるものです。言い換えれば、物事を順序立てて考える訓練にもなっているわけです。今晩のメニューに戻ってみます。二項対立でカレーに決まったとします。その決定は次なる問題を発生させます。主になる具に何を入れるか。チキンが良いかポークにするか、また二項対立による決定が形づくられるのです。

二項対立を連結することが思考方法の基本なのです。二項対立を用いなければ、複雑な問題に当たったとき思考が停止します。つまりどうやっても答えはでないのです。その状況にハマった人はこのような言い訳をすることが特徴です。「いろいろ考えてみたが、……」。彼は「いろいろ考えた」というのですが、その実情を追求すると何も考えられなかったことがわかるのです。つまり混乱しただけということですね。

混乱によって疲れたことを「いろいろ考えた」と説明しているのです。考えるのは根拠を伴った最適解を得ることが目的であって、疲れることが何かの役に立つのではないはずなのです。